なぜ上手くなるのか。
今から書くのは高校時代の先生がしてくれた話です。
ふと思い出したので載せておきます。
例えばですけどリフティングの練習があったとします。
リフティングの目標が10回でその目標を達成したときに
「次は15回に挑戦しよう」
って言う人がけっこういると思うんです。
でもこれじゃ飽きてしまうんですよね。
何故か。
努力が反映されることが確定してないからなんですよね。
時間を費やしてもその努力が報われるとは限らない。
「出来た後の未来」が分からないと人ってやる気を無くしやすかったりします。
リフティングも回数だけ重ねるような漠然とした目的だと子供とかは簡単に飽きます。
(僕もたまにリフティングさせることはありますが、目的ははっきりしてるので気になる保護者の方は子どもに聞いてみてください)
で、この出来た後の未来が分からないものに対抗してるものって何かといえば
「ゲーム」なんですね。
ゲームって時間を費やせばその努力が必ず報われるんですよね。
だから面白いと感じるんです。
(e-sportsとかは別ですが、娯楽としての見解です)
しかも、努力が報われるスパンがすごく短い。
敵を倒すことで経験値を得られ、その経験値でレベルが上げることができる。
上げたレベルで新たな武器を手に入れることができ、その武器でより強い敵に挑むことができる。
これが短時間で出来るから楽しいんだと思います。
努力がすぐ反映されることで得られる快感が何度もやってくるからゲームが好きになるんですよね。
なのでサッカーをやってる多くの選手が素走りを好まないのは本当に上手くなるのが分からないからなんですよね。
人に何かモノを教えることってゲームみたいな流れになって来るんじゃないかなと思ってます。
少し話変わりますが、世界の富というのはまず農業の時代がありました。
インドで胡椒を調達してイギリスで売ったらすごい売れたなどといったように、
「アービトラージ」=差益が富だった時代なわけです。
その後、産業革命が起きて工業の時代に入ります。
工業って何するかというと、いろんな場所から原材料を調達して、調達して集めたものを工場で加工して出来上がった製品が売れていきます。
付加価値が富となっていたんですね。
農業の時代はインドで調達したものをイギリスで売るわけですから、当然イギリスとインドの言葉を覚えないといけないわけです。
何を言ってるのか理解するために聞き取れなきゃいけないし、手紙を送るにも言葉が書けなきゃいけない。計算もできるようにしないといけない。
読み書きそろばんなんですよね。
それって寺子屋のことなんです。
寺子屋って、ある者は壁に向かって座り、ある者は向かい合わせで座って勉強している。
そんな感じでやっていて出来上がったら先生のところへ持っていく。
それが寺子屋の構造。
では工業の時代は?
工業の時代は工場があって、そこで安定的に加工してという労働力を供給しなければいけなかったのです。
そこで大事になってくるのは、みんなが一律に座って一斉に先生の方を向いて
「知ってる先生と知らない生徒」があって、持ってる知識を同じタイミングで提供することができる。
すると、知らなかった生徒がその情報や知識の差を埋めることができます。
そこで本当にその差を埋めたかどうかを確認するのが試験なんです。
こんな感じで教えるということにも歴史があったんです。
では今の富の象徴は何でしょうか?
「イノベーション」じゃないですか?
中にあるのは既にある。
でも組み合わせ方、優先順位のつけ方、再構築の仕方などによって新しい価値というものが生まれて、その新しい価値はみんなの生活を少し破壊させて、少し変化させて少し進化させ、その価値というものがみんなに認められるという時代が来ています。
その「イノベーション」ってどうやって教えるの?
イノベーションを起こした人って絶対それが好きなんですよね。
それが好きだから上手くなるし、上手くなるには好きになる必要があるんですよ。
小学生の頃とか夢中になっていたことって誰しもあると思うんですよ。
だからこれからの時代はそれを忘れさせないように今どうやって身につけさせるかなんですよ。
そこから先はなんとかなるから、心に灯った火を絶対忘れないでください。
もし夢中になっていたモノを忘れていたら思い出して、そして少し上手くなったらもっと好きになりますから、少し好きかもしれないことは少し上手くなります、そしたらもっと燃えてくるものがあることに気づきます。
というのが高校時代の先生が話してくれたことです。
その先生が伝えたかったことは
「学び続けろ」
これに尽きるんだと思います。
好きだから学ぶし、学ぶからもっと好きになれる。
何をするにしてもそういう事なんだと思います。